電気新聞 2001年6月13日

国際政治学者 舛添 要一



 景気を回復させる政策としては、金融政策と財政政策の2つがある。後者については、たとえば、公共事業を盛んに行うことによって、需要をつくりだす方法がある。前者については、これまで金利の動向のみが注目されてきたが、実は通貨供給量が問題なのであり、その点は、マネタリストの努力で説得力のある議論が展開されるようになっている。本書もまた、金融政策に視点を置いて書かれた日本経済論である。

 誰もが、なぜ日本では不況が10年以上も続いているのか、不思議に思うであろう。これまで数多くの経済学者が、不況の原因を、そして処方箋を示してきた。しかし、「複合不況」といわれるように、不況の原因は様々で、複雑な連立方程式の解を求めるようなものである。それが、政策的にも混乱を生んでいる。たとえ垂れ流しといわれても、財政を出動させて景気の回復を図るのが、財政再建を念頭において構造改革を断行するのか、どちらが良いかは、容易には判定できない。

 本書の著者はドイツ人エコノミストであるが、長引いている不況の元凶は政府でも旧大蔵省でもなく、日本銀行にあると断言している。具体的には、日銀が市中銀行への窓口指導を通じて、信用創造(通貨供給)量をコントロールしてきたことに注目する。

 日銀の命令で市中銀行が融資枠を拡大すれば、有り余った資金は不動産投資に向かう。これがバブルである。そして、次に資金の蛇口を絞ってしまえば、バブルは崩壊する。日銀はこのメカニズムを通じて、わざとバブルを起こし、そしてバブルを崩壊させた後は、また故意に不況を長引かせている。  以上が、著者の診断である。では、なぜ日銀は故意に日本経済を崩壊させようとしたのか。戦後の日本経済は、1940年体制と呼ばれるように、戦時経済体制を引きずっているが、日銀のエリートはこれを改革すべきであるとの信念を持ったからだという。

 1985年にプラザ合意が結ばれ、日銀の前川春雄・元総裁の名前を冠したレポートが出された。このレポートには、今日、小泉内閣の下で行われようとしている構造改革の提言が含まれている。

 しかし、この提言の実現には、既得権益側からの多くの障害が予想された。日銀のエリート達はその障害を克服する手段として、バブル、そして大不況という選択をしたというのが、著者の判断である。

 日銀総裁は、日銀プロパーと旧大蔵省出身者とが交互に就任するが、実は後者は単なるかざりもので、大蔵省出身総裁の下では必ず日銀プロパーの副総裁が実権を握ってきたという。しかも、窓口指導という重要な政策決定からは、大蔵省出身総裁は排除されていた。  選挙という国民のコントロールを受けない日銀の独立性は、実は大問題だという著者の指摘を重く受け止めるべきである。