2001年7月1日

大岡玲

日銀のプリンスたちがしたこと



 マネーサプライとか短期金利の引下げ、あるいはコール市場の動向なんて言葉を聞いても、何を言われているのかサッパリわからないという、つまり私は経済オンチという人種である。そういう人間が、経済に関する本を書評するのは、無謀きわまりない試みと映るだろう。  

 しかし、その本が、単に経済問題にとどまらず、経済問題そのものを生み出している元凶、黒幕、隠れた権力者の実態を剥(は)ぐ、といった内容を持っているのであれば、話はちがってくる。日頃あくせく働きながら、好況だ不況だという流れの中でアップアップしている身にも、ひどく切実に迫ってくる。そんな悪役が、いるのなら是非“お白州”に引きずり出してもらいたい。 と思って本書をひもとくと、その仇役(かたきやく)はまえがきの段階で、あっさり姿をあらわす。サスペンス小説じゃないんだから当たり前なのだが、持って回ったところのない書きぶりに、著者の真剣さがにじみでている。  

 その元凶とは誰か。日銀である。より正確に言うなら、日銀の支配者たるべく敷かれたレールの上を走ってトップに立つ“プリンス”――著者の用語――たちである。敗戦このかた、わずか数人の“プリンス”たちによって、日本の経済は思い通りにされてきたし、新日銀法が制定された一九九八年以降、彼らに与えられた権力はさらに巨大化した、らしいのである。 私だけではなく、多くの人がまずここでアレッと感じるのではないか。バブル以降さまざまな経済の局面で批判され続け、ついには不祥事を添えて解体された“悪者”は、大蔵省ではなかったっけ、と。  

 本書によると、それもまた日銀の深慮遠謀によるものなのだ。戦後経済の重要な側面として、戦時下に発生した統制管理経済――それこそが、戦後の高度成長を支えたのだ――にこだわる大蔵省と、一九二〇年代の日本がそうであった“アメリカ型の自由主義経済”を復活させようとする日銀プリンスの暗闘が、描かれている。

 だが、そうした状況描写もさることながら、本書のもっとも重要なキーワード「信用創造」という単語に注目しなければならない。この言葉の基盤は、金銭の“まやかし”的本質だ。  著者は、中世ヨーロッパの金細工師たちが発見した、まやかしの錬金術、物質としての金を元手にして、ただの紙である預かり証を元手の何倍も流通させる方式、つまりは現在の銀行業の原型を例に出し、お金というものが単に「信用」に支えられているものでしかない、と論ずる。金銭は、それが価値を持つと信じられて流通することによって価値を持つ、という同語反復的構造。  

 つまり、金銭、紙幣はいくらでも「創造」できる。日銀をはじめとする世界中の中央銀行は、これと見込んだ相手に刷った紙幣を貸し与えて事業を拡大させ、市場を活気づけることができる。それが「信用創造」だ。反対に、紙幣を刷らず「信用収縮」をもたらすこともできる。 まさか、そんな、と思いつつ、しかし、意外に単純なカラクリで経済は動いているんじゃないか、という経済オンチの“直感”に、ピタリとはまる議論。納得という以上の、喜びに近いものがある。

 問題は、日銀がその能力を使って、バブルを演出し、さらにはその崩壊、崩壊後のコントロールも行ったという点だ。日銀を含めたセントラル・バンカーたちにいいように支配される、統一通貨による“統一世界”。どんなホラーより怖いホラーだ。(吉田利子訳)