雑誌「PRESIDENT」2001年6月2日

経済ジャーナリスト 岸 宣仁

バブルの創出と崩壊…



バブルの創出と崩壊―――日本経済はいまだにその後遺症から抜け出していない。この間、「失われた10年」にメスを入れた何冊かの著作が世に出たが、これほど日本銀行の罪を真正面に見据えて検証したのは初めてではないか。
 著者は、オックスフォード大大学院を経て、東大大学院で経済学を専攻したドイツ人エコノミストである。野村総合研究所をはじめ日銀金融研究所、大蔵省財政金融研究所の研究員を務めた経験もある。

 そんな著者が、副題にもあるように「誰が日本経済を崩壊させたのか」を追求した結果、「円の支配者」である日銀に辿りついたというのが本書を貫くメインテーマだ。90年代の大不況を招いた犯人は、政府でも大蔵省でもなく、日銀の"単独犯行"である点を繰り返し強調する。

 そもそも、バブルの創出も崩壊も日銀の日本改造10年計画(前川レポートのこと)の中に仕組まれていた。しかも、政府が景気回復を目指して必死の努力を続けているとき、むしろ日銀は信用創造を収縮させて故意に回復を遅らせた、と手厳しい論理で日銀の責任に切り込んでいく。

 そして、究極の犯人を突き止める。彼らは日銀内部の少数グループで、他の日銀スタッフによるチェックもコントロールも及ばない「円のプリンス」たちだ。その名は三重野康、福井俊彦であり、バブル生成の初期には彼らの師、前川春雄も加わっていた。なるほど、「バブルは日銀の窓口指導を引き金に銀行による行き過ぎた信用創造で起こった」のは明らかだし、「日銀が信用創造の引き締めを選好し、その結果不況が長期化した」のも否めない事実である。

しかし、財政・金融の分離や日銀法改正以前の大蔵省を考えるとき、日本をコントロールしていたのは大蔵省の強大な権限であってバブルの罪を日銀のみにするのはやや無理がある。百歩譲って日銀に最大の罪ありと認めるにしても、バブルの創出と崩壊は金融政策だけで起きたわけではない。