週刊文春 立花 隆 2001年6月7日

私の読書日記

日銀、ダ・ヴィンチ、浮世絵メディア



リチャード・A・ヴェルナー「円の支配者」(草思社¥2000+税)は、このバブル経済もその破錠も、日銀高官たちの意識的金融操作によってもたらされたという、ほとんど耳を疑うような大胆な主張をしている。
だが、それは何のために? 日本経済の徹底的構造改革のためである。これくいらいの危機的状況を作り出さなければ、政治家も、国民も構造改革の必要性を理解しないだろうということで、あえてやったのだという。

日本経済のどこがそれだけ改革さるべきと考えられたか。それは政治、経済を含む、日本の社会構造全体である。つい最近まで日本という国家の主要な骨格をなしていたのは、いわゆる「1940年体制」だった。戦争のための国家総動員体制である。経済的には官僚がたてた計画に従ってすみずみまでコントロールする統制経済システムである。戦争が終わっても、この国家総動員体制のまま突っ走ることで、日本経済の奇跡的成功がもたらされた。それは独特の国家資本主義で、自由な市場経済を基本とする西側世界の経済とは異質な経済だった。アメリカと同盟を組んでいたため、冷戦中は、その異質さが容認されていたが、日本経済の異例の成功によってジャパン・マネーが世界を買い占める勢いになっていくと、日本経済はその異質さを清算するよう強く求められはじめた。80年代から強くなった市場開放、規制緩和の要求がそれである。その要求を呑んで、日本経済を抜本的に改革する(グローバルスタンダードに合わせる)ことなしには、国際社会で日本経済が立ちいかなくなることを日本の指導層は恐れた。そこで86年に元日銀総裁前川春雄を中心に作った日本経済構造計画が、いわゆる前川レポートである。この改革の必要性をいちばん強く痛感していたのが、日銀の幹部たちで、日銀内部では、前川レポートを「(日本改造)十年計画」と呼び、十年で現実化しようとしていた。

日銀にとって、日本経済の構造改革のもう一つの重要なポイントは、1940年体制下で日本経済の差配をふるってきた大蔵省をその座から引きずりおろし、日銀の独立性(日銀は大蔵省のコントロール下にあった)を確保することだった。
そのために必要だったのが、バブル経済をわざと作り出し、それを破裂させることで、大蔵省の経済運営の無能力ぶりを白目の下にさらすことだったというのだ。計画は効を奏し、いまや大蔵省は解体し、日銀は独立を達成し(日銀法改正)、規制緩和など構造改革は着々進行しつつある。 だが、日銀がわざとバブルを作ったりつぶしたりすることができるのだろうか。そして本当にそんなことをしたのだろうか。ヴェルナーは、日銀は「窓口指導」を巧みにやってのけることで、それをやったという。

日銀の機能で最も大切なのは、「信用の創造」を通じて、資金という経済活動の血液を日本経済のどこにどれだけ流すかという量的コントロールをしていくことである。そのためのもっとも重要な政策手段が「窓口指導」による信用統制である。大蔵省は日銀の金利政策には介入できたが、「窓口指導」による信用統制についてはその存在すらほとんど知らず、ましてその重要性には全く気がついていなかった。民間のエコノミストや経済アナリストなどもまるでその重要性がわかっていなかった。だから今でも、日銀のバブル作りとバブルつぶしは完全犯罪で終わっているという。
著者のヴェルナーは、オックスフォード大、東大大学院を経て、日銀金融研究所などでも研究を重ねた日本の金融システムの研究者であり、日銀の信用創造とバブル経済において「窓口指導」が果たした役割は彼の研究テーマそのものだった。だから、この日銀の秘密を見抜くことができた。それを次々にあきらかにしていく過程は推理小説のように面白い。彼のバブル分析は国際的にも高く評価され、英「エコノミスト」誌が大きく紹介している。アメリカのFRB議長グリーンスパンは、彼の論文を取りよせて二度も精読したという。
これはナミの経済書ではない。経済の初級の読者なら、マユツバものと誤解しそうなところが随所にあるが、思わず、ウーンとうなり、そうだったのかといいたくなるところが沢山あるはずだ。(疑問点ももちろん少なくない)。

論証不足な点もあるが、二十世紀全体を見渡すタイムスケールの眼と、世界全体のセントラルバンカーたちの動きをにらむというスケールの大きな眼で見ると、経済はこんなにも面白いのかと思わせる好著である。