SPA! 2001年7月11日号

神足裕司

「トンデモ一派と言われても私はこの本に納得し理解する」



『円の支配者』を読みながらクーラーが利いているはずの新幹線車内で汗をかいた。熱に浮かされたようになった。今の不況が日本銀行の無策から長引いたと指摘する説はあったが、確信犯と言い切った本はない。なぜ、日銀がそんなことをやらねばならないのかという「動機」を著者リチャード・A・ヴェルナー氏は、構造改革がやりたかったからだと指摘している。

 今、小泉純一郎首相が声をからして訴えている構造改革とは、実際は1996年、中曽根内閣で提出された前川レポートだという。前川レポートとは、元日銀総裁・前川春雄、通称「マイク」が座長となってまとめた「経済構造調整研究会」の報告である。 戦時体制の官僚主導でやってきた輸出主導型の日本経済は、このままでは世界で許されない。そのことを中曽根康弘元首相は、「内需拡大」と呼んだ。貿易戦争に勝つのではなく、豊かな消費社会を作ることで世界基準になろうと。

 にわかには信じられない。

 この不況のために何万人もが首をつり、リストラの憂き目に遭い、家庭を崩壊させているというのに。それは構造改革のただの手段だというのだ。 しかし、この戦時体制の記述は気が遠くなるほど思い当たる。貧富の差が少ない日本型社会は、何千年の伝統の結果ではない。1920年には、今のアメリカと同じ自由競争社会だった。戦時、国力向上のために軍需産業へ資本を集中させ、株主と従業員の意見を企業から排除し、後に護送船団方式と呼ばれる戦時経済を作ったから日本は強かった。

 そしていつも、不況の処方箋として取りざたされる日銀の公定歩合、金利下げは意味がない。政府を借金だるまにした公共投資、財政出動も意味がない。  というのは、公共事業は国債によって市場からカネを吸い上げ、土建業に配るだけで、吸い上げたところからはカネがなくなるから。政府は金こそカネだと思い込んでいた中世の王様よろしく、カネ貸しにダマされて借金漬けになる。本当に意味があるのは、日銀と民間銀行による信用創造。市場にカネを増やすことだ。

 この魔法の杖を日銀はひた隠しにしてきた。そしてうるさく言う目の上のたんこぶ、大蔵省をついにやっつけ、独自性を勝ち取った。  本当だろうか?  多くの新聞は否定的だ。1985年のプラザ合意前に「1ドル=150円の世界」を予測した中京大教授の水谷研治氏は「まだ読んでいないですが」との上で、「その著者は、今がカネ余りだということを果たしてご存知なんでしょか」と陰謀説をやんわり否定した。

 戦後すぐ「法王」と呼ばれた一万田尚登総裁の頃、カネがなかったから日銀の力は絶大だった。「買うものがないのが今のデフレ。カネがあるからといってカラーテレビ、百台買う人がいます?」そんな時代にヴェルナー氏の言う「札を刷れ」は意味がない。

 ヴェルナー氏にその質問をした。 「それは日銀から民間銀行への貸し出しのことでしょう。中小企業、そして政府には世界最大の通貨の需要があるんですよ」  ドイツ・バイエルン出身でオックスフォード大や東大大学院を経て、ドイツ銀行や野村証券、さらに日銀金融研究所や大蔵省の研究所でも働いたという経歴をもつヴェルナー氏は、にこやかではあるが、話すと止まらない勢いがある。「バブルの頃、銀行員はなぜそんなに貸したのか?ワタシは銀行員にインタビューしました。

 支店長が決めたからと言われ、その支店長にノルマの理由を尋ねると、本部の企画室が決めたと言われ、その企画室では日銀担当が「日銀営業局が」と答えた。  90年代初め、まだ警戒心の薄い日銀行員に直接インタビューできた。そして日銀が「窓口指導」によって景気を「ヨーヨーみたいに揺れる」ことを突き止めた。

 日銀は実行犯  もう一つ、ヴェルナー氏はドイツ人であるゆえに、日銀の信用統制、「法王」一万田尚登がヒトラー政権下で学んだ市中銀行を操る方法を容易に見抜けた。  現在15万部。版元の草思社社長、加瀬昌男氏の元には読者から、「だまされていた」とか「そうだったのか」というはがきが届く。取材と緻密なデータで日本の戦後を洗い直した、トンデモ本とは言えない良い本というのが実感だ。 ・・・・・・・・・・・・・・